人見知り克服できなかったけど、まあ、大丈夫だ。
小さい頃から、人見知りだった。
初対面の人と話すのが苦手だった。
男の子が苦手だった。
小学生の頃は、顕著にそれが出ていた。
隣の席同士の人で、協力して何かするのが苦手だった。数学の授業で、プリント交換して答え合わせのし合いっこ、なんて地獄だった。
隣の男の子が、間違いなんてしてしまっていたら、どうだ。
指摘しなければ、ならない。
私は女兄弟しかいない。男の子なんて未知の生物。男と女は同じ人間だと思っているけれど、まあ、生物的な役割は違うし、脳の使い方も違うらしいので、別の生き物だと思っている。
だから、どう話しかければいいか、わからない。
必死に考えた結果、私は声での会話ではなく、
『筆談』
『リオくん』は、隣の席の無口な女の子の、小学生にしては特殊な(いや、成人でも特別なことがない限りこんなケースは稀)コミュニケーションの取り方に戸惑っただろう。
リオくん「(こいつは、しゃべれないのか・・・?)」
私「(声帯を、失った、という設定にして・・・。)」
テレパシーというものがあれば、どんなに楽だろうって思っていた。
声に出すまでに、色々な過程を乗り越えないといけなかった。
なんて、話そう。
間違えたことを指摘してしまったら、嫌われないだろうか。
どうやって、間違えたことを傷つけずに言うか。
男はプライド高いというしなあ。
傷つけてしまったら、次の席替えまでのインターバル、地獄の日々を過ごすことになる。。。
『こんな初歩的な足し算を間違えたポンコツ』という劣等感を与え、『そんな劣等感を与えた、傲慢な横暴女』というレッテルを貼られでもしたら、、、。
想像だけでも、寒気がする。
リオくんとはこの付かず離れずの距離感を保っていたい。。。
クラスの中心、ムードメーカーである、リオくん。
屈託のない笑顔で微笑み、プリントを受け取った。
「ばさし(私)ちゃんて、面白いね!」
その言葉で、悶々と考えていたあの過程が、全て報われた気がした。
その一週間後、リオくんは転校した。
私は、22歳の社会人。
今では筆談で語ることもないし、人見知りではあるけれど、
好きな人もいるし、
大事な友達もいるし、
知らないコミュニテイに入っていくことも可能になった。
今、思えば、あれはリオくんのおかげではないかと思っている。